祈り届かず、キムタクコーチ逝く・・・
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JUGEMテーマ:読売ジャイアンツ
 
先日の広島でのゲーム前、くも膜下出血に倒れ、闘病していたジャイアンツ・木村拓也コーチが7日午前3時22分、家族や球界関係者、ファンの祈りも届かず逝去した。
若干37歳。昨年引退したばかりで、これから第二の野球人生を歩み始めたばかりでの悲報に、ただただ、残念としか言いようがありません。

木村拓也氏は宮崎県内の進学校、宮崎南高校からドラフト外で1991年にファイターズに入団。当時は捕手としての入団でしたが、翌年からは外野手にコンバート。

1994年オフには、カープに移籍、移籍後は二塁手への挑戦、スイッチヒッターへの挑戦など、積極的に自身のプレーの幅を広げると、徐々に頭角を現し、2000年にはユーティリティープレイヤーとして、さまざまなポジションを守りながら、1番打者として始めて規定打席に到達。打率2割8分8厘、10本塁打、30打点、165安打の好成績を残すなど10年目にしてブレイクした。以降は3年連続して130試合出場するなど、チーム にとって欠かせない存在となる。2004年にはアテネ五輪の代表選手にも選ばれている。

2006年、カープのブラウン監督の若返り方針のため、出場機会が減り、ジャイアンツへとトレード。

ジャイアンツへのトレード後は、投手以外すべてをこなせるユーティリティープレイヤーとして、まさしくチームの穴をことごとく埋める活躍を見せる。とくにジャイアンツは2塁手の層が薄いこともあって、ほぼ2塁のレギュラーといってよいくらいの出場機会にも恵まれ、2008年にはわずかに規定打席には到達しなかったものの、打率.293と活躍。犠打もチーム最多の26を記録した。

現役最後の2009年も主に2塁手としての出場が多かったが、9月4日のヤクルト戦で、延長戦の末、捕手をすべて使い果たしてしまい、木村拓也が緊急でマスクをかぶる事となったが、アグレッシブな配球を見せミス無く無失点に抑えると、原監督がベンチを飛び出し、木村拓也の肩を何度も叩き、活躍を讃えたシーンは記憶に新しい。


このように、昨年まで選手として活躍していた人物の突然の悲報に、ただただ信じられないという気持ちでいっぱいです・・・
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author:キリ, category:プロ野球−セ・リーグ, 10:33
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